宗教ってなに? 3

 

第1回:「始源の遅れ〜一神教と『論語』

内田樹

 

この2年ほどエマニュエル・レヴィナスの『時間と他者』という講演についてそれを逐語的に解読するという仕事をしています。レヴィナスはそこで「時間とは主体と他者の関係のことである」という広く人口に膾炙した(そして、非常に難解な)命題を語っています。いったい何のことだろうとずっと考えていましたが、安田登さんと『論語』について話しているうちに、「レヴィナスと孔子はもしかしたら同じことを言っているのかもしれない」という突拍子もないアイディアが浮かびました。

 

「始源の遅れ(intial après-coup)」というのはエマニュエル・レヴィナスの言葉です。一神教信仰とは「神がわれわれを創造した。われわれは被造物である」という意識のことですが、そのように「遅れている」という意識を持つことを宗教的知性の覚醒だとレヴィナスは考えました。

他方、『論語』には「述べて作らず」という命題があります。孔子は彼より500年前の周公の徳治を統治の理想として掲げました。そして「私は先賢の祖述をしているだけで、いかなるオリジナルなアイディアも創造してはいない」という周公に対する「遅れ」を強調することで逆にきわめて創造的なポジションを手に入れました。

レヴィナスも孔子も「私は始源に遅れている」という意識を持つことで、人間はある種の知的なブレークスルーを果たすという汎通的な知見を語っているわけです。

 

それがどうした、と言われそうですけれど、それはすでに時間意識をビルトインされて生きている人の言い分で、おそらく時間意識そのものは2500年くらい前に「発見」されたのもので、それまでは存在しなかったのです。人びとは人類史のある時点で、「遅れ」という概念を発見したことで「時間」という「知的ウェポン」を手に入れたのではないか・・・という時空を飛び越えた妄想を語りたいと思います。


内田樹 Uchida Tatsuru

思想家、武道家。神戸女学院大学名誉教授。1950年、東京都生まれ。東京大学文学部仏文科を経て、東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。著作とともに、ブログなどのメディアを駆使して身体論、武道、教育、アメリカ、ユダヤ、日本などを縦横に論じている。その言論活動全般に対して、2011年伊丹十三賞受賞。現在、武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰。著書に『私の身体は頭がいい』『死と身体:コミュニケーションの磁場』『武道的思考』『身体を通して時代を読む:武術的立場』(甲野善紀との共著)『身体で考える。:不安な時代を乗り切る知恵』(成瀬雅春との共著)『日本の身体』など。


概要

日程  11月10日(土)

時間  14:00~16:30

受講料 一般:2500円

    会員:2000円

    学生:1000円

    学生会員:500円

    当日会場にてお支払をお願いします。
定員  200名 

会場  経済倶楽部ホール MAP