東京自由大学設立の経緯(1998.12.31)

 1998年4月のある日、陶芸家の川村紗智子さんから電話をいただいた。ギャラリーいそがやの代表の長尾喜和子さんが話をしたいことがあるとのことだった。長尾さんとは、以前一度お会いしたことがある。3年前、天河曼荼羅実行委員会が「宗教を考える学校」を開いていたときに、一度受講されたことがあったのだ。ルドルフ・シュタイナーにも関心をもたれ、興味深い展覧会をいくつも企画されていた。

 お会いして話をうかがってみると、画廊の新しい企画・運営に協力してほしいということであった。そのときわたしは、「『宗教を考える学校』のような、短期間で終わる学校ではなく、もっと恒常的に続く学校をつくりたいのです。老いも若きも一緒になって、純粋に探究を志す者が集まって共に探求し実践していけるような学校をつくりたいのです」と年来の夢を語った。

 長尾さんは、そんなわたしの夢におおいに賛同してくださった。わたしは一緒に夢を見ることのできる人と出会ったのだ。わたしたちはそのとき、宗教と芸術と学問の三つの分野をつなぎ、総合していくことのできるような学校がほしいと夢を語り合った。しかも、どのような一宗一派にもとらわれない、心底自由で、探究する喜びと創造性に満ちた学校をつくりたいと話し合った。わたしは神道で、長尾さんはキリスト教のカトリックであるが、二人ともこの時代に聖霊の力があまねくふりそそがれ、はたらいていることを実感していた。

 5月3日早朝、突然、「東京聖心自由大学」という名称が浮かび、わたしは憑かれたようにワープロをたたき、「東京聖心自由大学設立案」を作成して長尾さんにお送りした。それを親しい友人たちに見せて意見を聞いた。そのとき書いた設立趣意書が、冒頭に置いた文章(「東京自由大学設立趣旨」)である。多少の加筆はしたが、そのときの構想はそのまま生きている。

 そのときわたしは「聖霊」のはたらきを念頭において、あえて「聖心」という名称を考えたのだが、それではキリスト教的な観念に限定されたり、聖心女子大学とまちがわれるかもしれないことを配慮して、最終的に「聖心」の字を取った。だがわたしは、わたしたち一人一人が精神の一等深い内奥にひそむ「聖心」に目覚めることが大切だと今でも思っている。そしてそれは宗教や宗派に関係なく、だれのこころのなかにも存在する神性だとわたしは信じている。

 5月以降、わたしは「神戸からの祈り」という催しに深くかかわり、その実施に追われて、自由大学の準備をすすめることができなかった。10月にひとまず一連の行事が終わって、一息ついたので、ようやく設立に向けて動き出すことができるようになった。

 そこで11月18日に、それまでに自由大学について協力を約束してくれていた長尾喜和子さん、画家の横尾龍彦さん、香禅気香道の福澤喜子さん、「神戸からの祈り」神戸実行委員長で映画監督の大重潤一郎さん、同じく「神戸からの祈り」東京実行委員長で早稲田大学社会科学部教授の池田雅之さん、西荻WENZスタジオ代表の平方成治さん、それにわたしの七人で設立についての話し合いの機会を持った。設立趣旨、理念、姿勢、方向性、方法、組織、運営などについて、自由に意見を交換した。そしてそこでの合意をもとに、全員一致して横尾龍彦氏を学長に推挙し、新たに、作家の宮内勝典さん、山形大学理学部教授の原田憲ーさん、陶芸家の川村紗智子さんに設立発起人に加わってもらい、十人の発起人により設立を呼びかけ、多くの方々の参加と協力を募ることにした。

 こうして、12月26日、設立発起人と協力してくれる賛同者22名が集まり、自由な意見の交換会を持った。そこで、NPO法にのっとって非営利組織として活動していくことを確認し、新しい市民運動としての学校づくりをみんなが参加して行っていこうと話し合った。

 

 そして、1999年1月18日、ワークショップ形式の定款づくりをすることにした。みんなで知恵と力を出し合って、自分たちの望む、自分たちでできるボランタリー・スクールをつくることにしたのである。この市民参加型の東京自由大学は新しいタイプの学校になるとわたしは思う。それはとても柔軟で現実的な学校になるだろう。そして何よりも創造的であることを大切にする学校になるだろう。批評ではなく豊かなる創造を! 単なる批判ではなく現実と関係性を変えていくおおいなる創造を!

  東京自由大学のカリキュラムについては、まず発起人有志がそれぞれに自分のやりたいテーマと方式で個別ゼミ(定期講座)を受け持ち、また発起人有志複数で合同講座を担当する。

 そして、発起人各位の豊富な人脈を生かして、それぞれの分野の第一線で活躍している研究者や芸術家や実践者を招き、講義やワークショップを持ちたいと考えている。それぞれの先達が切実な問いかけと真剣な冒険に満ちた探究の末に獲得した成果を、この時代を真剣に生きようとしている人々の前に永遠なるものからの贈り物としてダイレクトに差し出してほしいと願っている。

 わたしたちは人間の経験とそこから汲みとられた叡知を信頼したい。それこそが人間を根底からつくり変え、変容と成長に導く力だと思うからだ。叡知なき力は危険であり、力なき叡知は空虚である。

 東京自由大学のカリキュラムについては、わたしたちは五つの柱を打ち建てたい。

 

1.)日本を知るコース:

わたしたちはどこからきたか?歴史の認識

2.)社会を知るコース:

わたしたちはどうしているか?世界の洞察

3.)宇宙を知るコース:

わたしたちはどこにいるのか?自然の叡知

4.)芸術・創造コース:

わたしたちはなにができるか?創造の秘密

5.)身体の探求コース:

わたしたちはなぜうごくのか?身体の発見

 

 そして、その五つのコースすべての根底に、古代ギリシャ最高の聖地デルフォイのアポロン神殿の正面の額に掲げられた格言、「汝自身を知れ!」という命題が鳴り響いている。つまり、すべての探究が「自分自身を知る」という一点と切り結ばれるのである。

 弘法大師空海はくりかえし『大日経』の聖句「如実知自心」を引用し、また『般若心経秘鍵』の冒頭で「それ仏法は遥かにあらず、心中にしてすなわち近し」と宣言したが、自分自身の心を知ることのなかにおおきな秘密があることを洞見していた。

 これら五つのコースに関し、発起人の内、主に、鎌田東二が 1)日本を知るコースを、池田雅之が 2)社会を知るコースを、原田憲一が 3)宇宙を知るコースを、横尾龍彦と大重潤一郎が 4)芸術・創造コースをコーディネイトする予定である。5)身体の探求コースの担当者は今は特にいないが、いずれ適任者が現れるだろう。

 わたし自身は4月から、原則として、第4週の金曜日の19:00~21:30まで新橋のギャラリーいそがやで「宗教と文学」のゼミを月1回のペースで開くつもりである。また、他の発起人と共に月1遍かふた月に1遍、共通のテーマを定めて合同講座を持ちたいと思う。とにかく、できるところからやり始めたい。

 こうして、東京自由大学は、それぞれが一隻の船に乗って、知と天然の大海に航海していくような、塾でもあり、大学でもあり、結社でもあるような、冒険的な移動漂流教室を共に創造していくこと をめざしている。そしてその探究がこの時代の志を同じくする人たちとの友愛の共同体を力強くかたちづくっていくことをこころから願っている。

 友愛を共同化していくためには、世代間の連携が必須になる。幸い、発起人十名のうち、70歳代が横尾龍彦学長を始め二人、60歳代が一人、50歳代が五人、40歳代が一人、30歳代が一人、と世代的ばらつきがあり、特に事務運営の中心をなす事務局長に30歳代の若く活動的な平方成治氏に就任してもらい、さらに若い世代への橋渡しとなってもらった。まさしく老若男女の共同作業がこれから始まるのである。ぜひ多くの方々に会員となって、あるいはボランテイア・スタッフとして参加していただきたい。そして、自分自身と自分の属する社会を自分たちの手で成熟進化させていきたい。

 最後に、この東京自由大学は、かりに地震や災害やさまざまな事件など起こったときに、お互いに見も知らない者同士でも助け合い、 支えあっていくことのできるような互助組織でありたいと思う。ひとがあらゆる垣根を取り払って互いに助け合い、支えあっていけることを阪神淡路大震災はわたしたちに教えてくれた。わたし自身は、この時代にそれぞれ一人一人が内なる観音力を発揮することができた ならば、人間も社会もおおいなる成熟と進化をとげることができると信じている。共にわれらが心中に宿る観音力を行じようではないか。

 東京自由大学は、わたしたちの夢を現実に実現していく共同の作業場なのである。

 

1998年12月31日 鎌田東二